ブログ、めちゃくちゃ遅くなりました。
すんません。
ありがたい事にこのロングラン公演、全て満席となりました。本当にありがとうございます!流石敏腕プロデューサー、流山児さん!
「三上、再来年俺のプロデュースで何か芝居やれよ。何でもいいから。」
流山児さんのこの一声から全てが始まりました。文化庁委託事業である、新進演劇人育成公演『演出家部門』。過去にはシライケイタさん、スズキ拓朗さんもやられている公演で、声をかけて頂いた時は本当に嬉しかった…ただ、当時流山児さんは三上と杉浦(ぽこぽこクラブメンバー)の見分けがあまりついていなかったようで、杉浦に「三上!何かやれよ!」と熱く語り、杉浦がポカーンとしていた事を、昨日の事のように思い出します。(実話です)
どんな戯曲をやるかで相当悩み、流山児さんの手のひらで転がされ、気がつけば青森高校の先輩でもある寺山修司さんの作品をやる事に…
自分は普段、ぽこぽこクラブという劇団でオリジナル作品の演出をしていて、寺山作品を演出するなんて、まったく発想になく…でも、だからこそやる意味があるのかなぁ〜と、これまた流山児さんに転がされ『血は立ったまま眠っている』を演出する事になりました。
寺山修司記念館の佐々木英明さんに取材にいったり、高校以来じゃないかってぐらい歴史や寺山について勉強したけど、どうにも追いつかない。どうしようかと悩んでる時に、つい最近解散した虚構の劇団の主宰である鴻上さんに
「おまえが寺山やるの?一番遠いだろ!おまえは人情劇しかできないんだから!」
「ですよね…どうすりゃいいですかね?」
「解釈なんかしなくていいから、おまえのイメージでやれば?」
と…
天才がイメージで書いた戯曲を解釈する事自体、無理だろ?…確かに。そこからこの戯曲に対する向き合い方が変わりました。
自分が演劇をやる理由は、やっぱり『人』
残酷で、愛に溢れ、狡く、優しく、滑稽な人間。様々な人間が見たい!やっぱり人間は面白い!
というのが、自分が演劇をやり続ける理由で…
確かに、60年安保や、ウクライナとロシアの戦争が長期化する中での反戦。とても大切な事だと思う。ただ、60年安保も戦争も実際に経験していない僕らにとって、どんなに頑張ってもその当時の状況を理解し、体現するのは難しくて…
ただ『人間』という事で考えると、この戯曲に対して様々なイメージが湧いてきました。
ネフローゼで生死を彷徨った寺山さんが、復帰後初めて書いた戯曲。
シンプルに読んでいくと、そこにはシンプルなメッセージがあるように思えた。
『まだする事はいっぱいあるんだ』
これは、当時23歳の寺山さんの心の叫びであると感じた。
時代は変われど、安保も、戦争も知らない我々にも共通して言える事。それは今も昔も変わらない「生きている」事の価値。当時、戦後から高度経済成長に入る日本。貧困とそうでない者との格差が激しかった日本。生きる意味を必死で考える者達と、生きる方法を必死で考える者達。
じゃあ、今(令和)はどうなんだろう?
便器からブルースは聞こえなくなったかもしれないが、きっと誰にも聞こえない悲鳴をあげている人はたくさんいる。しらじらと白く美しい様式の水洗トイレは、もしかしたら当時の日本より残酷なのかもしれない。
生きていればこそ…そんな事を漠然とイメージして、この作品を仲間たちと一緒につくりました。
今回座組みの仲間が2人降板しました。
とっても悔しいです。
もちろん、降板した当人達が1番悔しかったと思います。
演劇は、明日生きるエネルギーを与えもしてくれるけど、それと同じだけ、挑む側のエネルギーも削られます。全ての芝居がそうであるとは思わないけど、自分はそんな芝居が好きです。
芝居は祝祭であり、楽しいもの。
でも、そこには尋常じゃないエネルギーが渦巻いている。今回『血は立ったまま眠っている』に挑み、その事を改めて認識しました。
すいません、ちょっと酔っ払っているので、面倒臭い演劇おじさんの戯言みたいなってしまいましたが、本音です。あっけなく終わる人生で、舞台上ではせめて熱苦しく生きたいし、そんな人間を見たい。
最後まで読んで頂いた我慢強い方、ありがとうございました!
今日も、舞台上で思いっきり『生きる』役者達と一緒に、生きてやって下さい。