流山児★事務所の稽古場レポート
稽古中!!

流山児★事務所公演
『田園に死す』


原作⦿寺山修司

脚色・構成・演出⦿天野天街
(少年王者舘)

音楽⦿J・A・シーザー
(演劇実験室⦿万有引力)

芸術監督⦿流山児祥

2024年
3月14日(木)- 24日(日)
下北沢 ザ・スズナリ




*******
シアターRAKU
『めんどなさいばん』

作⦿北村想

演出⦿流山児祥

音楽⦿高橋牧
(時々自動)

振付⦿北村真実
(mami dance space)

Space早稲田にて、
2024年5月9日開幕!

プロフィール
HN:
流山児★事務所
性別:
非公開
自己紹介:

流山児★事務所

中高年演劇=楽塾からブロードウエイ・ミュージカルまで上演し 高い評価を得て多数の演劇賞も受賞し海外公演も、毎年のように行ってる国際的シアターカンパニーです。



★★★新人募集中です!劇団で活動することに興味がある人を募集します★★★



【募集人員】 6名 (俳優・スタッフ・制作)18歳以上35歳未満。 国籍不問。心身ともに健康な男女



詳細はコチラより!!



【お問合せ・応募先】

流山児★事務所 新人募集係 〒162-0045 

東京都新宿区馬場下町60番地 まんしょん早稲田307

TEL:03-5272-1785(平日13時~17時)

 E-MAIL:mail@ryuzanji.com





バーコード
高取英と出会ったのは1978年、42年も昔のことである、寺山修司の個人スタッフで、漫画エロジェニカの26歳の若き編集長だった。
私より4歳年下。大坂市大新聞会で編集もやっていたし、白夜劇場という劇団を主宰し、寺山スタッフなのに、なぜか唐十郎の芝居が好きだ!と、大きな顔をしていた
それでいて人懐っこい博識というかミーハー的に、世界を俯瞰する編集者、
詩人で、岩波インテリ文化と薩長腐敗政権の延長である日本の政治権力を最も嫌う硬骨漢であった。
「月蝕歌劇団」という処女詩集を贈呈された。寺山さんの跋文が載っていた。
わたしは「百年の知己」を得たのである。

高取は、三田の人力飛行機舎の居候で寺山さんの書生みたいな存在であった。
当時の天井桟敷のメンバーはみんな「寺山節」で喋るので、私には「大阪弁を喋る寺山修司」であった。
頭脳明晰、博学、詩人で競馬好き、オマケに少女&漫画とエロと歴史大好き。初対面のわたしに矢切止夫史観と本間千代子について滔々と喋り出した時には驚いた。
高取史観というべきパラレルワールドの歴史劇、学生時代に日本拳法をやっていたので喧嘩好き、だが、彼は、私の様な馬鹿な喧嘩は絶対しなかった。
1978年暮れ、ピンク映画や芝居屋のたまり場であった新宿のKという居酒屋で、高取の編集する三流劇画誌「エロジェニカ」の連載を引き受ける話や芝居の話で盛り上がり、
なぜか酔った勢い?で、高取の先輩と金王神社で「決闘」と相成った。
立会人は高取であった。その後も、80年代三流劇画論争で下北沢の路上でのI氏との「決闘」も高取は立会人であった。90年代に入っても私の若気の至りの「決闘」は続いた。某演劇人会議との最後の闘いまで、高取は、わたしの不条理な喧嘩の現場で、何よりもダメな私の「喧嘩の師」であった。

1979年私の「演劇団」解散公演『カルメン(山崎哲:作)上演の時、高取と寺山さんが一緒に「演劇団解散」の音頭を取ってくれた。
1980年天井桟敷『奴婢訓』ニューヨーク公演の時、映画監督の高橋伴明さんと3人で1カ月のアメリカツアーとしゃれ込んだ。高取は『月蝕歌劇団』をツアー中に書き上げた。『月蝕歌劇団』は舟木一夫の自殺未遂事件を題材にした高取ワールドの出発点であった。その後、『天狼騎士団』『帝国月光写真館』『冥王星の使者』『黄金箱』といったヒット作を次々とコンビで発表、高取は劇作家の地位を確立していった。
1986年、高取英は月蝕歌劇団を旗揚げ、その後32年間、弛むことなく独自の劇世界を構築し疾走を続けた。

2005年、私の代表作『夢の肉弾三勇士』の上演台本を久しぶりに高取が改訂し、演出:天野天街(少年王者舘)、主演:流山児祥というトリオで上演出来たことは私の無上の喜びであった。

2013年、スロベニア国際演劇祭で『トリスタンとイゾルデ』を上演したいので出演してくれ!と、しつこく誘うので、33年ぶりに旅した。高取はスロベニアのエヴァルド・フリザール:作を換骨脱胎して、ソフトSMの倒錯アチャラカ劇に仕立て上げた。私は植木等の歌を歌いながらチャンバラまでやるというふざけ三昧をやった。思想劇は吉本新喜劇に!これこそ、面目躍如。パリ行きのフライト時間を間違えたり、「一寸、イタリアへ行ってきまーす」と、劇団女子たちとタクシー乗って出かけてゆく大らかさには呆れ返ったが愉しかった。

30年間、サブカルの大御所と呼ばれながら、一貫してアングラ劇団を身銭を切ってやり続けたその精神力と矜持には敬服するしかない。年間4~5本コンスタントに小劇場公演を打ち続けた。「大阪のタコ焼き屋商売ですよ」と、軽やかに、国家否定の高取史劇を上演し続けた。『ドグラマグラ』『花と蛇』『家畜人ヤプー』『愛と誠』『標的者』『ねじ式・紅い花』といった漫画も思想も幻想文学もSMも彼にかかると見事なアナーキーな歴史エンターテインメントとなった。

大昔、高取と寺山さんと3人で渋谷の街を歩いたことがある。寺山さんが一番歩くのが早かった。喫茶店でわたしがコーヒーを注文したら、二人はフルーツパフェを注文した。寺山さんはかつ丼が好きだった、高取は、それ以上に、かつ丼とカレーが好きだった。
『トリスタンとイゾルデ』の稽古で、初めて演出された。稽古しているのに高取は菓子パンを食って下を向いて何かやっている。ダメ出しは? と聞くと「テキトーでいいですから」と答えるだけ。何しているのかな?と思ったら、予想通り「オバQ」の絵を書いていた。40年前からよく台本とか原稿用紙とかにオバQを書いていた。憎めないやつである。

そして、高取英は突然、風のようにアッチへ逝ってしまった。今回の『寺山修司―過激なる疾走―』に、なぜか出てこない「怪人20面相」は高取英、きみなんだろう?

流山児祥


写真は2014年5月17日 豊島区テラヤマプロジェクト・ドキュメンタリー上映会

「寺山修司―過激なる疾走―」
2020年8月20日(木)~24日(月)
下北沢ザ・スズナリ
前売り開始:7月23日(木・祝)

 
Copyright c 稽古場日誌 All Rights Reserved
Powered by ニンジャブログ  Designed by ピンキー・ローン・ピッグ
/