一昨年秋に寺山修司作『血は立ったまま眠っている』出演のご縁を頂き、61歳本厄真っ只中(1960年誕)だった僕は、これからは遣りたい事は何でもやろうと、初めての寺山ワールドへと踏み込んだ。
初めて戯曲を読んだ時、60年代安保を背景とした物語と云うよりは、戦後間もない帝銀事件 反共の砦(逆コース)による民主化政策の転換等の印象が強く、平和孤児達の物語だと勝手に思い込んでしまっていた。
昨年夏の顔合わせ読み稽古迄、60年代安保を背景とした物語である事は全く頭になく、恥をかいてしまった程だった…失笑!
ただそんなお粗末な状況の中、戯曲との出会いの時に、私には一つの鮮烈な衝撃があった事をブログに認めたいと思います。
私には元予科練習生で特攻の生き残りの叔父がおりましたが、その叔父が事ある度に、兄弟姉妹に話していた言葉が『血は立ったまま眠っている』戯曲の最後の台詞「まだすることは一杯あるんだ!」と痛烈に重なり突き刺さって来たのだった。
叔父曰く…
「戦争被害に遭われた方達には言葉にならない痛恨を感じているが、敗戦した事、戦争が終わった事自体を悲しんでいる者はいない。
俺達は生きて生きて、やる事が沢山ある!」
叔父は52歳で癌を患い長じなかったが、特に遺言を残さなかった叔父からの兄弟姉妹へのメッセージは、20人以上いる甥姪達への遺産となっている。
叔父の言葉には一見ノンポリに思えて…その実は、平和な世の中となり1956年経済白書-「もはや戦後ではない!」宣言がなされても、静かな生活の中に確り戦争の記憶を残し、戦後の人間である認識を確認し、未来を見つめて行く覚悟であったと思っている。
個人的な以上の思いが、戯曲を読んだ際の勘違い(誤読)であるにも関わらず、一直線に作品へ挑む発火点になった。
果たして、以上の様な問題意識で千秋楽迄辿り着けるか…日々の作品との格闘にかかっているが、叔父の燃えるような熱く静かな思いが、「血は立ったまま眠っている」の中に宿っている様に思えてならない。
出演者の夫々が、夫々の闘い方で格闘している様に、僕も今の戦前の世の中に、戦後の記憶を残し、戦後の人間である認識を確認していきたい。
それでも、歴史は水の流れの様に継続するから…!
正叔父の写真