どーも、
これまでブログ担当してました山Pこと山下です。
『流れる血、あたたかく』のブログを読んでくださった方々、舞台を見に来て下さった方々、本当にありがとうございました。
共演者の方々にはそれぞれの想いをブログに書いて頂きました。
そして今回で最後となるわけですが、
ラストはやはりこの人しかいないと思い、
三上陽永にお願いしました。
この芝居の稽古は、8/7に始まりました。
公演が終わるまで約1ヶ月半の間、俳優、演出はこの作品と向き合ってきました。
でもそれよりももっとずっと以前から三上陽永はこの作品と向き合ってました。
苦しい思いも沢山してきたんだと思います。
稽古に入ってからも、本番に入っても袖裏で彼は役者の言葉一つ一つを聞いてました。
ずーーっと彼はこの作品を正面から向き合ってました。
そんな彼の言葉を是非感じてみて下さい。
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脚本を執筆した三上陽永です。
同郷で、同じ高校。
一学年上の先輩がおこした本事件は、どこか他人事ではなく感じられ、いつか作品にしたいと考えていました。
今回は、プロデューサーである流山児さんからお声がけいただき、劇団協議会主催のもと、敬愛する演出家である日澤雄介さんの演出で、何とか形になりました。
もはやSNS等で拡散しているので、隠す必要もないかと思います。
題材は、秋葉原事件です。
犯人である加藤智大は、同郷であり、同じ高校の一学年上の先輩でした。
「ある事件」としたのは、本事件が、被害者の方々、被害者家族の方々、また加害者家族の方々に深い傷を残し、16年経った今でも苦しんでいる事への配慮でした。
事件をおこした犯人が1番悪い。
どんな理由があったとしても、絶対に許される事ではないし、私自身犯人を擁護するつもりはまったくありません。
ただ、それだけではこの事件はいずれ忘れ去られ、消えていく。
もちろん、それを望む方々もたくさんいることも理解した上で、私は個人的に、もっと考えを巡らせるべき事件ではないかと考え、作品にしました。
この作品を執筆するにあたり、真っ先にオファーしたのが、流山児事務所の役者である山下さんでした。
彼には、加藤智大をモデルにした秀生という役をどうしても演じてもらいたかった。
『人間臭い犯人』を山下さんなら演じてくれると考えたからです。
犯人を擁護するつもりはない。
でも、犯人をモンスターとして描くつもりもなかった。
誰にでも起こりうる事として作品を創作したいと思いました。
加藤の様々な手記を読みました。
非常に読みづらく、読んでいて気分が良いものではなかった。
ただ、彼の文章から伝わってくる傲慢さや、顕示欲、人を拒絶しながらも、人を欲している、好かれたいという願望、プライド、諦め…
非常に人間臭く、不器用な人間が見えてきた。
これは、自分にも突き刺さる。
それはとても恐ろしい事でした。
様々なボタンのかけ違いで『犯人』は形成され、あの事件へと向かった。
弟・優二は、そんな兄が変貌していく過程をみて、人間臭さを少しずつ失っていったのかもしれません。
秋葉原事件には、本当に様々な要因が複雑に絡み合っていると感じます。
地域性や学歴社会の転換点。
女性の大学入学に対する考え方も、母・和美の世代と重なります。
SNSの爆発的な広がり、家族問題。
もっと、もっと様々な問題が細かく…
『貧困』や『差別』といった問題とはまた違う、正体の見えにくい様々な要因。
はっきりと、何故この事件が起きたのか?何が原因なのか?答えは出ません。
だからこそ演劇の力が発揮されるのではないか。
目の前で生身の人間の温度を感じながら、様々な想像を巡らせる。
それは決して娯楽とは言えないのかもしれないが、演劇が持つ大切な側面ではないか。
日澤さんの、丁寧な演出により様々な人間が舞台上に立ち上がるのをみて、その事を確信しました。
演劇の可能性をまた一つ発見できた公演でした。